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カメラが良くなるほど撮影が難しくなった
「えむふぃぎゅあ」さんのデジタル一眼レフを購入した記事を読みました。
そこで思うのは、カメラが良くなるほど撮影が難しくなったなぁ、ということです。ピントが合わなかったり、ブレたりと腕が悪いのが強調されるようになってしまいました。
現在は SONY NEX-5 (APS-Cサイズ) を使っていますが、なかなか上手くとれません。液晶の画像だけでは細かい画僧の状態が分かりません。ボケている範囲とかキッカリとピントが合っているのかどうかはっきりと分からないのです。
拡大する機能もあるし、ピントがあった部分の色が変わる機能もありますが、それで確認するのも面倒です。食べ物を撮影するときには一緒に行った人が待っていますから、なるべく早く撮影したいからです。
一眼レフではどうなんでしょう? ピントや絞りの調整がやりやすいのかも知れません。あと、レストランなんかは暗いから、明かるければ綺麗に撮れるのにと思いますがね。
最初に購入したデジカメ「QV-10」の撮影は簡単でした。(QV-10 - Wikipedia)
今日は「QV-10」は低画質だったけれど良かったという思い出話です。
「プロジェクトX 挑戦者たち 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」
「QV-10」の思い出話と言えばこのDVDでしょう。
プロジェクトX 挑戦者たち 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける [DVD]
- 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
- 発売日: 2011/12/22
- メディア: DVD
- クリック: 3回
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放送大学図書館・映像音響資料室に「プロジェクトX 挑戦者たち 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける」がありました。
最初の放送は2002年7月2日。DVDは田口トモロヲさんのこんなナレーションから始まります。
技術立国日本。14年前、そこに危機がせまっていた。バブル。合言葉は「濡れ手で粟」。多くのメーカーが株や土地投機に熱中した。
その時、ひたむきに電気回路に向き合う男たちがいた。メーカー25社の記述屋たち、物作りが何より好きだった。
挑んでいたのは夢の技術「デジタルカメラ」。フィルムも現像もいらないカメラ革命だった。
時代はバブル。「すぐに金にならないものなど意味がない」。プロジェクトは解散させられた。
男たちは負けなかった。半田ゴテを手に集まった。処分覚悟の闇プロジェクト。そこで出会った運命の瞬間。
これはバブルに翻弄されながらも夢を諦めなかった技術者たち執念の物語である。
ダダントダント、ダンドン、ダンドン♪
ダダントダント、ダンドン、ダンドン♪
テーマ音楽「地上の星 / 中島みゆき [公式] - YouTube」が流れます。
エンドテーマは「ヘッドライト・テールライト」
あぁ、いいですね。
プロジェクトが解散させられたのは、最初の製品が失敗したからです。
最初に出来たのはフロッピーに録画する方式のホームビデオくらいの大きさのもの。128,000円。2万台生産し、25億の売り上げを見込みました。
しかし、それよりも小型で動画の撮れる8ミリビデオがソニーから登場したためにフロッピー式デジカメは苦戦します。大きいうえに動画はなし、写真しか撮れなくては売れなかったのです。
以下のリンクにも開発の話が出ています。
私が興味深かったのは、試作機のテストのシーンです。
バカでかくなってしまった試作機で撮影のテストをします。どんなものが映ったかを確認するために液晶モニタを接続すると、それに映ったモデルをしていた事務の村上さんが「面白い」と言うんです。撮影された自分の姿がその場で見れる。それは画期的なことだったのです。
それと、同業他社の技術者から電話が来て勉強会を開くのが凄かった。
末高さんたちは、プロジェクトを解散させられ、研究部署なのに何も仕事がなくなってしまいます。そこに電話が来るんです。どこのメーカの技術者もデジカメ開発をやりたいのに経営者の理解がなくて出来ない。そこで勉強会をやるんです。
こんな第一線で活躍できる技術者たちの姿をみて、とてもうらましく感じました。熱中して何かを作るのはホント、楽しいんですよね。私は人に自慢できるようなものは作ったことがないのを悔しく思ってしまいます。
QV-10は低画質だったけれど良かった
私もQV-10を購入しました。安くて個人でも購入出来るデジカメが発売されたからです。
1995年、私はWindows 3.1にWinsockを入れてインターネットを始めました。当時のホームページはHTMLの直書きで文字がほとんどの時代でした。綺麗な山の写真が掲載してあるサイトや女性の足の写真だけを乗せた「足フェチ」のサイトが人気でした。
Webに写真を載せたくてもフィルムスキャナは高価でした。コダックにデジカメはありましたけれども、価格は2万~2万5,000ドルくらいでしたからとても手が出るものではなかったのです。
最初にQV-10を見せて面白がってくれたのは不動産でした。
当時、私は板橋に住んでいて、2時間もかけて幕張まで通勤していました。大変なので千葉にアパートを探しに行ったとき、QV-10を持って行って撮影しまくりました。後でアパートを出るときトラブルにならないようにするためです。
それを見ていた不動産が、こういうので写真を作ってホームページを作れば、お客さんが部屋の候補を絞るのが楽になるというのです。
私は得意になって写真を見せて喜んでました。
QV-10のスペック
- 1.8型のTFT液晶カラーモニターを搭載。
- 撮像素子:1/5インチCCD(25万画素)。320×240ドット。
会社の旅行で長崎に行ったときの写真を貼り付けます。
若い社員は私のQV-10を面白がって見てました。
社長たちは「ライカがどうの、こうの」と言っていて、「ウチはデジタルの装置を開発する会社なんだけどな・・・」とガッカリしたのを覚えています。
阿蘇草千里にいた馬
阿蘇噴火口をバックにした私。
若い! 低画質だからいい男にみえる。
フィルムの写真ならこんなメモは撮らかったと思う。ダメなら消してまた撮れはいいというのは魅力でした。
柳川の水郷
船の中で食べた弁当。
長崎の中華街で食べた夕食。
メロンの食べカス
フィルムだったらこんなアホな写真は撮らなかった。
長崎の夜景
夜景の撮影はホント駄目でした。
朝の長崎
ハウステンボス
実物はこんないい男ではないが、低画質ならではの写真です。
その後、ニコン初代COOLPIXを購入し、QV-10は弟の子どもにあげました。弟の子どもは小学校入学前でしたが、それでも撮影できてしまってました。
QV-10の撮影は楽で楽しかった。今のiPhoneに近い感覚かもです。