(著作者: dice-kt)
目次
「これのどこが面白いのか?」と悩むのは無駄?
webマガジン「Books&Apps」の『「面白くない」と感し゛た感性に自信を持っていい。その作品は、あなたにとって間違いなく面白くないのた゛』を読みました。
「PPAPって全然面白くねーなー」と感じて書いたものだそうで、次のようなことが書かれています。
- 「これのどこが面白いのか?」と悩んだり、「〇〇は××だから面白いんだよ!」と説明するのは無駄。
- 面白さを説明して成功したのを見たことがない。面白いかどうかは最初に固まる。「面白い」と感じるかどうかは感性次第。自分で気づく他はない。
- 他の人が「面白い」と言ってても、それに嫉妬する必要はない。不安に思う必要もない。
- 誰かの「面白くなかった」を否定する権利はない。
- ガンガン「面白い」「面白くない」と言っていいけれど、他人が語っているそれに対して喧嘩をふっかけても意味がない。
確かにそうだなぁと思う反面、自分がその面白さが分からないとすると損した気分にもなります。
昔名作と言われる映画を見たとき、その凄さを理解できなかったことがあります。その作品を再度見て、凄さがよく分かったという作品があります。そんな経験をもとに面白さが変化することについて書いてみます。
「面白いと思う」、「面白いと思わない」の場合分け
作品について、「面白い」、「面白くない」の評価は次の4パターンに分けられます。
- ①自分は面白いと思うけれども他の人の評価が低い
→他の人にも面白さを理解して欲しいと思う。 - ②他人は面白いと思っているのに自分がその面白さを分からない
(A)損した気分になる、(B)分からなくていいやと思う場合がある。
③の「みんなが面白いと思う作品」と④の「自分も他者も面白いと思わない作品」は評価が分かれませんから、問題になりませんね。
自分は面白いと思う映画
自分は面白いと思うけれども、他人に勧めても面白さを分かってもらえないかも知れない。そんなふうに思う映画があります。
「同胞」ある程度はヒットした映画ですけれども昔の映画です。
うだつのあがらない農村青年が主人公の映画です。アマゾンのレビューを見ると絶賛だらけです。私もうだつのあがらない農村の青年でしたから、主人公の気持ちが分かって分かってしょうがありませんでした。
街で生まれて街で育った人が面白いと思うかは自信がありませんが、面白いんだけどなぁ。
「TATTOO<刺青>あり」
主人公のチンピラがいつも「ビッグになってやる」と言っています。
「30歳までに何かでかいことしてやる」と。
しかし、何も出来ない。そんな男が銀行強盗をして立てこもり、射殺されます。
そんな気持ちは私に痛いほどわかります。だけど、アニメを絶賛する人たちにこの映画の話をしても、理解してもらえないんじゃないかと思います。
「丑三つの村」
「TATTOO<刺青>あり」と同じ西岡琢也 さんの脚本です。
村一番の秀才が結核と診断され、村八分のような状況になります。追い詰められた彼は村人を皆殺しにします。
この映画を面白いと感じた当時の自分は鬱屈していたように思います。今になっては面白いと感じなくなっているかも知れません。
物語の面白さの要因は物語のバックボーンをリアルに感じられるかどうかが大きいのだと思います。文章で言えば行間や文脈のようなものですね。ですから、この3本の映画を勧めても面白いと感じて貰える自信はないのです。
面白いと言う人がいるけれど、自分はその面白さが分からない
面白いと言う人がいるけれども、自分にはその面白さが分からないというものはあります。
「東京物語」の面白さに疑問を持った人とファンとのやりとり
「東京物語」の面白さに疑問を持った人がブログに取り上げたのを見つけました。
コメントがいいっぱいついています。そのやりとりを見ると、説明の難しさが分かります。
- 小津安二郎「東京物語」はなぜ世界一なのか
退屈な映画だ。
出演している俳優も好きではない。
この私の評価(シンプルきわまりないが)とのギャップはアンドロメダ星雲以上に離れている。では「東京物語」のどこがいいのか、どこが世界一なのか。
BFIで「東京物語」を1位に選んだ監督や3位に選んだ批評家の意見を聞きたくていろいろ調べるのだが、見つからない。
背景にあるバックボーンを共有している人と共有していない人。年齢の差による感性の差が大きいようです。
長い時間を置いて見ると「面白い」に変化していた
昔、名作と言われる「東京物語」を見ましたが、そのときは良さが分かりませんでした。
篠田正浩監督が「動いているのは洗濯物だけだ」と言っていたのを記憶していますし、山田洋二監督も 、若いときは良さが分からなかったけれど、歳を重ねるごとに良さが分かってきたということを言っていたと思います
この前、30年ぶりに見直す機会があり、その面白さを堪能することが出来ました。そのときの感想がこれです。
TVと映画館という環境の違いにもよるでしょうが、感動が大きかったのには驚きました。
歯科矯正というのがあります。悪い歯ならびや噛み合わせを直すために、針金のような矯正装置をつけて歯やアゴの骨に力をかけると、動かないと思われる歯でもゆっくりと動いて歯ならびが治るというものです。
それと同じように私の感性もゆっくり変ったようです。物語のバックボーンをリアルに感じられるようになったからだと思います。
映画の解説を聞いて面白さが倍増したという映画もあります。
これは昔、テレビで放送されたのを録画した「ポセイドン・アドベンチャー」を見たのですが、それほどの映画でもないと思っていました。
ところが、町山智浩さんの解説を聞いてから映画をみて、その映画の素晴らしさがよく分かったのです。
- 「神に祈って頼るな。自力で突破せよ」 牧師が生還へ導く・「ポセイドン・アドベンチャー」の感想
町山さんは、「アメリカのいろんな評論家が『これは聖書なんだ。ノアの箱舟なんだ』と言っている」と話します。
この映画には二人の神父が登場します。
ジーン・ハックマン演ずる若いスコット牧師と老いた船の牧師です。
「ひざまづいて祈ったからと言って何でも解決するはずないでしょ。神を頼りにする人を神は助けない。頑張った者しか救わないんだ」
スコット牧師はこんなことを言う牧師です。だから、アフリカの教会に飛ばされ、ニューヨークからアフリカへ旅している途中なのです。
老いた船の牧師は違う考えです。
「君は強い人のことばかり考えている。みんなが強い訳じゃないんだ。私は弱い人のために祈りたい」と言います。老いた牧師は転覆した船のホールで怪我をして動けない人たちと共に残るのです。
私はネタバレの解説が大好きです。その映画のバックボーンがよく分かるからです。
逆に、むかし感激してみた映画を今見たらつまらないものだったという話
山田太一さんのエッセイで知った話です。
指揮者の岩城宏之さんは子供のときに映画「オーケストラの少女」を見て感動し、音楽家になろうと志したそうです。しかし、大人になってその映画を見ると大したことなくてがっかりしたと言います。
そんな話を聞いて、山田太一さんは違うのではないかと言います。
その本が手元にないのでうろ覚えなのですが、音楽家になろうと決心して指揮者になるほどなのだから良い映画だったのだと言っていました。
物語に描かれていないバックボーンを子供だった岩城宏之さんが理想的に描いて映画に感動していた。それが、大人になってオーケストラや人物の行動がリアルに感じられなくなってしまったのだと思います。
こんなとき、「分からなくていいや」と思うのかも知れません。
今でも面白さがよく分からなくて損した気分になることがあります。
義母は歌舞伎が面白いと言ってよく私に見せたがりますが、義母が感じている面白さと私が見ている感覚は随分と違うものだと思います。ピカソの絵画もすごいと言っている人がいるからそうなのかと思う程度。
スティーヴン・スピルバーグの「ミュンヘン」を観たときは、途中で劇場から出ようかとおもいました。でも、町山智浩さんが『スピルバーグの「ミュンヘン」は凄かった!』と言っています。うーむ。
まとめ
面白さの理解が変化することについて考えてみました。
他人が面白いと感じたものを自分が同じように面白く感じられないと損したような気分になります。だから「これのどこが面白いの」と検索するといろんなものがヒットするのだと思います。
もし、色んな面白さを理解出来るとすれば、人生を豊かに楽しく感じられるに違いありません。出来るなら、なるべく多くの面白さを理解したいのですが、それは無理だというのも現実です。
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