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インターネットのない時代の慶應通信の体験記
通信制大学は孤独です。何をどうして良いか分からず、途方に暮れてしまうことがあります。
そんなとき、この本を読みました。
慶應義塾大学を通信教育で卒業された関根徳男さんの体験記です。
1990年、関根さんが慶應義塾大学を卒業すると、半年後に『通信教育日記』を自費出版しました。
その後に手を加えて近代文芸社より出版されたのがこの本です。
この本には、大学通信教育を乗り切るためのノウハウがびっしり詰まっています。
- どんな科目から学び始めたのか。
- レポートが合格ぜずに何度も再提出する苦悩。
- 科目試験はどんな問題で、どのように回答を論じたか。
- 仕事と学習の両立はどうしたのか。家族の問題。
- スクーリングの休暇はどうやって確保したのか、スクーリングは通ったのか、泊まったのか。
- そして卒業論文をどう乗り切ったのか。
通信教育に苦悩する様子がリアルにつづられています。
放送大学に入学して3年、少しダレてきたところですが、この本を読み終えて、俄然やる気がでました。
通信制大学で学ぶなら読むべきです。
働きながら挑戦する姿に勇気が湧く
関根さんはどんな人なのか。略歴には次のように記されています。
昭和29年 栃木県に生まれる
国立小山高専電気工学科卒
慶應義塾大学法学部(通信)卒
電機会社技術者、学習塾教師を経て
現在、中学校教諭
著書 『通信教育日記』慶応通信
『社会人のための自学自習のノウハウ』 慶応通信
関根さんは通信教育を知って学び始めます。高専卒という学歴に劣等感を持っていたことが原因でした。
半導体技術者の関根さんは、中国へのプラント輸出に技術者として参加していましたが、それが不調になり苦悩します。
栃木県の教員採用年齢の上限が引き上げられたことを知り、教員を目指すようになります。お母さんは渋りますが最後は納得。百科事典まで買って応援してくれます。
学習塾に転職しますが、学ぶ時間を確保するには苦労がいります。
そんな環境の中、関根さんは単位を取得し、卒論を書き上げます。
感動のラストは卒業式。
家庭があり、働きながら通信制大学を卒業するのは大変なことです。
やる気と勇気を貰いました。
学習サークル「慶友会」がうらやましい!
通信制大学は学友と話す機会がないという問題があります。
インターネットのない時代の話ですから、さぞ大変かと思ったのですが、慶應通信には「慶友会」という学習サークルがありました。
栃木慶友会では定例会があり、さらに、『華厳』という機関紙を発行して情報交換をしていました。日光・華厳の滝(けごんのたき)の『華厳』ですね。
みんな情報に飢えていて、先輩から色んなことを聞きたいのです。
4回提出して合格したレポート
関根さんは体験記を『華厳』に発表しています。
不合格になったレポートについて、二人からアドバイスをもらいます。しかし、それでも不合格。さずがに、アドバイスを受けても不合格になったと言えず、4回提出して合格しています。
インスパイアされて教師を目指す
仲間も重要です。
教師を目指している学友に出会い、関根さんも教師を目指すことになりました。 頑張り屋の彼は教員免許取得にこだわり学習塾の教師にとして働きます。124単位でよいところを219単位も取得して卒業するのですから立派です。
教授と宴会で飲みながら話す「講師派遣制度」
放送大学では、講師はテレビで顔を見たことはありますが、こちらから話すこともありませんし、個人に向けて言葉をかけることはありません。
大学から教授が「慶友会」に来て講義をします。これを温泉地で宿泊で行うのです。これには他の慶友会からも参加していました。
前の晩は教授と宴会で飲みながら話す。宴会を終えても話す。翌日に講義があって、それが終了しても話す機会があります。
初参加の関根さんも、最後に教授と話すことができたそうで、中国にプラント輸出をしたときの体験を話したそうです。
150/3000という難関
入学前のオリエンテーションのとき、関根さんは 3000人が入学しても150人しか卒業出来ないないことを知ります。
さらに入学式式辞の中で、3000人の入学者は半分以上が一年以内で退学することを知らされます。
一年以内で退学する理由は、記述式のレポートと記述式の科目試験だと思われます。
昔、職場に「中央大学 法学部通信教育課程」を卒業した後輩がいました。
「なんであいつにだけ、あんなに休みを与えるのだ」とやっかみを言う人がいるくらいで、卒業してもそれほど評価されなかったと覚えています。
彼は凄かったんだ。今にしてよく分かりました、どれだけ難しいのか。
関根さんのサイト「社会人のための自学自習のノウハウ(大学通信教育の実例)」から紹介してみましょう。
リポート作成
英語や、数学、統計学の計算問題など、あらかじめ定められた正答を求めるようなリポートもあるが、ここでは、課題に対して論述形式で答えるリポートに関して述べていく。
リポート作成上の手順例は、次の通り。
① リポート課題の主旨をつかむ。課題で要求していることは何かがわからないで、リポートが書けるはずはない。また、主旨を勘違いしていると、ポイントのずれたリポートになり、いくら書き直してみても合格しない。(この失敗例は、第四章で述べてあるので、そちらを参照してもらいたい。)(略)
レポートは1単位が2000字以内、2単位が4000字以内。関根さんはずっと日記をつけていましたから文章力もあったのでしょう。
科目試験
いよいよ六十分間の科目試験が始まる。ここでは、一般的な論述形式での試験について述べていく。
問題は、「主体性という概念について述べよ」(哲学)、「ロック的リベラリズムについて論ぜよ」(政治思想史)といった内容で、これに対してB4サイズの解答用紙一枚に論述することになる。(略)
もっとも、六十分という限られた時間内で、下書きもなしに、きれいな文章を書くのは大変である。そこで、私がよく用いた方法は、項目を設けて書いていくことであった。 例えば、「〇〇の思想について述べよ」という問題に対し、次のような項目に従って書いていく。
1、〇〇が生きた時代背景
2、初期の思想
3、中期の思想
4、後期(晩年)の思想
5、△△(同時期の思想家)との比較
6、後生への影響
そして、最後に自分の意見をできるだけ述べるようにする。
他にも恐ろしい話はいっぱい出てきます。
もっともやっかいなのが英語
もっともやっかいなのが英語で、通信教育を断念する理由に、語学の単位が取れないという理由が多いと書かれています。
英作文の合格者はほとんどが大卒だそうで、他の単位は取り終わったのに英語だけ残ってしまい、ついに卒業できないまま亡くなってしまったという老人の話があるそうです。都市伝説でしょうか。
10年間卒論に取り組んでいる人
関根さんが卒論の指導をうけるときに、10年近く卒論に取り組んでいる人に出会います。3年ぶりに指導を受けにきたそうで、200字詰め原稿用紙に300枚書いた論文を教授に見せます。
指導教授だって、いきなり300枚見せられても困ります。
「今ここで、これだけの量を読むことはできない」と言いながら、拾い読みをします。
「序論は、論文の目的を書くものだ。自分のことを書くものでない。これではエッセイになってしまう。一気に書いてしまうのではなく、一章できるごとに送ってよこしなさい」
情報の少ない時代です。孤独と戦いながら書いてこれです。この人は卒業できたのでしょうか・・・。
私が勇気を貰ったところ
参考になった二つの話があります。ひとつは何度もレポートが不合格になり、4回目で合格になる話。それと、卒論を書き上げる話です。
レポート課題で3回不合格
こんな課題です。
「江戸時代、寛永鎖国以後の鎖国時代における海外との交渉について記しなさい」
「鎖国リポート奮戦記」として『華厳』に発表されたものが、4ページにわたって掲載されています。「社会人のための自学自習のノウハウ(大学通信教育の実例)」にさらに詳しく掲載されています。
- 歴史が得意だったので、テキスト中心に百科事典とそれまでの知識で書く。
結果はD。
指導:鎖国完了後に限定し、西欧列強進出前までの海外との交渉をもっと掘り下げて調べよ。指示した参考書を学ぶように。 - 参考書を購入。鎖国前後の記述を省き、参考書の内容を加え、長崎貿易と蘭学を中心に書く。
結果はD。指導:鎖国時代の貿易は長崎貿易のみでなかった。 - 慶友会のメンバーに相談。長崎以外に、朝鮮貿易や琉球貿易があるのを知る。
『近世対外関係し史の研究』から長崎貿易を補う。さらに蝦夷貿易を追加。
結果はD。
指導:鎖国時代の貿易は長崎貿易のみでなかった。
これでさっぱり分からなくなる。指定された参考書の一冊は絶版になっていて入手できなかった。 - スクーリングのときに鎖国に関する本を借りまくって読む。
ここで課題の意味に気が付く。
海外交渉について求められていて、その時期として、鎖国期があがられているのではないかと。
構成をガラッと変え、外交史的な面を強調。出題の趣旨はここにあると自分は考えると明記。
これで合格。
4回分のレポートは厚くなり、針金でくくった。
「鎖国時代における海外との交渉について記しなさい」。
鎖国についてではなくて、鎖国時代は時期を特定する言葉。その時代の「海外との交渉について」書かなければならなかったのです。
こういうことは私もやってしまいそう。
卒論のテーマが絞られていく様子
卒論を書き上げる話では、テーマが絞られていく様子が参考になりました。
- 関根さんは、まず、地元の政治家・田中正造について調べてみようと考えます。
どんな人かと検索すると「日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として有名」と Wikipedia にあります。
この様子はとても参考になります。
- 「自費出版書籍をお譲りします」
私の大学通信教育日記 1500円
買って読みましょう。
簡単には真似できそうにない
この本を読んで感じるのは、関根さんの真似は簡単にはできそうにない、ということです。
関根さんは高専の出身であることから、大学へ行きたいと学び始めます。しかし、当時は高専ができたばかりでその人気はすさまじく、相当な倍率を潜り抜けて入学したはずです。
「思門出版会(本作り研究会)」を見てください。30冊以上を自費出版していて、目標は100冊だと言っているんです。
『私の大学通信教育日記ー転機をつかめ』を買って読みましょう。
やる気が出ます。