シロッコの青空ぶろぐ

高卒シニアが低学歴コンプレックス脱出のため、放送大学の人間と文化コースで学んでいます。通信制大学で学ぼうとする人を応援したい。学んで成功する人が増えれば、私のやる気も燃えるはず。

どうすればブログを読んで貰えるか・韓国映画『パラサイト』を観たくなった心理から考える

 映画チラシ パラサイト 半地下の家族 ソン・ガンホ

目次

韓国映画『パラサイト』を観たくなった

放送大学図書館から帰宅する車の中、いつも「Bay FM」を聞いています。

前回の「有村昆と駒村多恵の The BAY☆LINE」は韓国映画『パラサイト』の話で、「YouTube にもアップしてあります」と聞き、探してみました。これですね。

この映画はみたい!

なぜ、私は映画を観たくなったのか。それを考えれば、ブログのアップデートに役立たないか。

ブログを書いても、なかなか多くの人に読んで貰えません。映画を観たくなった理由を分析すれば、私が書くべきブログの方向性が見えて来ると思うのです。

私はなぜ『パラサイト』を観たくなったのか

『パラサイト』は第72回カンヌ国際映画祭の最高賞「パルムドール」を受賞しています。

www.parasite-mv.jp

私も権威に弱く、面白いのではないかと期待します。

しかし、ヨーロッパの映画祭で評価されても、私が良さを理解できない作品もありました。

  • 『戦場のピアニスト』って、そんなに良い?
  • 『パリ、テキサス』
    DVDを見始まったけど途中でやめたことがある。

私はど田舎の生まれで、本も映画館もない生活でしたから、都会的センスは苦手です。

『パラサイト』はそれだけでなく、アカデミー賞の作品賞をはじめ、6部門の候補になっているそうです。

これはすごい。日本映画でそんな評価された作品はありません。これは期待できます。

他の要素を挙げてみます。

  • 私は韓国映画に愛着がある。
    1980年代、NHKの「世界映画劇場」だったでしょうか。佐藤忠男さんが韓国映画を紹介したのを何本か見て韓国映画が好きになりました。
  • ソン・ガンホさんの出演する映画は、まず間違いないだろうという予感。
    『シュリ』、『JSA』、『大統領の理髪師』はよかった。だから『タクシー運転手 約束は海を越えて』も観たいと考えていたのです。
  • ポン・ジュノ監督の作品は名前くらいは知っている。

『パラサイト』は見るべき映画だと判断しました。

その他にも、韓国を叩く人がいて、そのアンチテーゼとして応援したい。そんな意識があるような気がします。放送大学「韓国朝鮮の歴史」を履修したのも、同じ理由です。 

私のブログはどうあるべきか

韓国映画『パラサイト』を観たくなる理由から考えると、もっと読者が興味を持っていることを書くべきと思うようになりました。

メンタリスト DaiGo さんから考える

彼がこんなことを言っています。

  1. 他人を支配する黒過ぎる心理術!メンタリストDaiGoが凄すぎる!【ラファエル】
    ひとは自分の知っている話が好き。ひとは自分のことを一番知っている。
  2. フォロワーが増える心理学~50万の投稿を分析して分かったフォロワー増加の科学
    ①ネガティブを避ける。ネガティブな体験なら後ろにポジティブな意志を追加する。

私のはてな読者は200人くらいしかいません。

ツイッターは、フォローしているのが 274 人に対して 631 フォロワー。放送大学で学び始めてから、放送大学関連の人が増え、さらに不思議なことに、受験を控えた女子高生がポツリ、ポツリと増えてきました。

ツイッターのフォロワーは学習関係が多いと思われ、それならば、私が学んでいる姿を、ポジティブにもっと多く書くべきだと考えました。

YouTubeチャンネルは伝えようとするテーマが明確

YouTubeを見始めると、私の好きなチャンネルは伝えようとするテーマが明確なのに気が付きました。

今後のブログを考える

今後のブログというより、自分の生き方をどうするかと言う問題です。

私が韓国映画『パラサイト』を観たくなったと同じように、 自分の知っている話題をさらに詳しく知りたいくなると思います。私が大学などで学びながら人生を謳歌しようとしている姿を書いていく。それをテーマにしようと思います。

どんなことを書こうかしら。思いつくことを書いてみます。

  • 「ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録」
    ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録

    ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録

    • 作者:アン サリバン
    • 出版社/メーカー: 明治図書出版
    • 発売日: 1995/04/01
    • メディア: 単行本
     
    図書館でサリバン先生の本を見つけ、アマゾンから購入しました。
    映画『奇跡の人』とからませて書けないか。
  • 私が履修した科目の良かったこと、期待外れだったこと。
    科目の情報は放送大学のためであり、自分のため
  • 卒業研究申請をして不合格だったけど、その理由。再申請した結果が通知されれば、それについて。
  • 放送大学を卒業したらどうするのか。
    記述式レポートと記述式試験の通信制大学で「考える力」をつけたい。
  • どんな分野を目指すのか。人文、映画、心理学・・・文化心理学に興味があって、そこを深堀りしたいというぼんやりしたイメージがあります。

さて、こんなことを書いて私のブログを読んで貰えるようになるのでしょうか。

最近、YouTuber に成れないかとも思ったり・・・私のブログはまだまだアップデートすべきだと考えたのでした。

 

少しも高倉健さんらしくない映画・市川崑監督『四十七人の刺客』(1994年)

四十七人の刺客

目次

健さんが『四十七人の刺客』に出演した不思議

高倉健さんはどんな役を演じても「高倉健」だったと言うことを書きました。

高倉健さんは、自分の胸がスパークする映画だけに出演していました。新しい企画を提案しても簡単には応じませんでした。

独立後の健さんは、プロデューサーが新しい企画を提案しても簡単には応じませんでした。 どんな映画になるかが決まるまでに一年、それから最初の脚本を渡して修正を加え、最終的なOKが出るまでにまた二年も三年もかかるといった具合です。

『永久保存版 高倉健 1956~2014』「独占インタビュー・降籏康男 健さんと生きた57年」p61 

記者がインタビュー記事を書くのにも丁寧なメールをやり取りをして、気持ちの通じた記者にに取材に応じていました。

『初恋の来た道』の張芸謀監督でさえも、企画を実現させるためには6年もかかっています。何種類ものシノプシスを送り、ようやく実現させたのが『単騎、千里を走る。』です。『英雄 ~HERO~』にも張芸謀監督から出演依頼があったそうですが、断っているそうです。*1

それほど出演作品を厳選する高倉健さんなのですが、この『四十七人の刺客』は、少しも高倉健さんらしくありません。なぜ『四十七人の刺客』に出演したのでしょうか?

 マキノ雅弘監督も「健坊(高倉健のこと)は、大石内蔵助のような役は向かない」と言っているそうです。*2

私も、この映画には出演しなかったほうがよかったと思いました。

それはどんな理由からなのでしょう、私の考えたことを書いていきます。

健さんには髷が似合わない

この映画はいわゆる「忠臣蔵」、赤穂浪士が吉良上野介を討ち取る話。高倉健さんが演ずるのはもちろん大石内蔵助です。

しかし、髷が少しも似合っていません。

『単騎、千里を走る。』のハンチングは素敵です。

単騎、千里を走る。 [DVD]

『八甲田山』、『動乱』、『鉄道員(ぽっぽや)』の帽子も決まってる。

鉄道員(ぽっぽや) [DVD]

だけど、大石内蔵助の髷は似合わないと思うのです。

健さんが本格的に時代劇に出演するのは、「宮本武蔵 巌流島の決闘」(65、監督・内田叶夢)以来のこと。「髷をつけるのが苦手で、似合わない」との理由から時代劇への出演は断り続けてきたとのことだが、武士姿はビシッと決まり、風格・貫禄共に立派な大石内蔵助になっている。

『高倉健メモリーズ』P161 

「四十七人の刺客」撮影ルポの八森稔さんは「武士姿はビシッと決まり」と書いていますけれども、「違うなぁ・・・」と感じました。

高倉健さんは、 身長が180cm、体重71kgと抜群のスタイルです。デビュー作の『電光空手打ち』に出演が決まったのも、上半身裸になった肉体がよかったから。馬か何かを見ている雰囲気だったと言っています。*3

『日本侠客伝』の着物姿も胸元が閉まっているより、はだけた方が恰好いい。

日本侠客伝 関東篇 [DVD]

日本侠客伝 浪花篇

日本侠客伝 雷門の決斗

『四十七人の刺客』のきっちりとした着物姿はイマイチ・・・。

健さんに時代劇のセリフは似合わない

高倉健さんは映画俳優希望ではありませんでした。美空ひばりさんのいた事務所でマネージャとして働こうとしました。それが、面接を受けようとしたところをスカウトされ、お金のために映画俳優になりました。

ところが、俳優座演技研究所でのレッスンは散々なものでした。

「みんなが白い目で見るんです。バレエやってもみんなが笑うし、日本舞踊やっても、またみんな笑う。そのうちみんなが笑って授業が進まないからって、僕は見学になってしまったんですよ。屈辱の毎日が続きました」

『健さんを探して』p45

 セリフのカットも指示されています。

 話すよりその立ち姿に魅力がある、と踏んだ京都撮影所長の岡田は台本に目を通しては「どんどん(高倉健のセリフを)カットしろ」と指示していた。

 『健さんを探して』p53

しかし、 高倉健さんは名演技をするようになります。

高倉健さんは演技をする方ではないと思うんです。ありのままの高倉健でいながら、自分に被せられて演じる役をつくりものでなく表現される。いつも高倉さんの人生観みたいなものがバックボーンにあって、それを役に投影させているんです。だからどの映画を観ても高倉健という俳優なんだけれど、そこに出てくる役の人間にすり替わって見えてくるんです。これは俳優として一番理想的なことだと思いますね

 『高倉健メモリーズ』奈良岡朋子インタビュー P187

しかし、間が長くて、途切れ途切れに話す時代劇のセリフは高倉健さんに合いません。ありのままの高倉健で大石内蔵助を演じようとしても無理があります。それは、江戸時代であっても、現実には時代劇セリフのように間を長くとって、途切れ途切れに話すようなことはなく、いくら高倉健さんが大石内蔵助になりきろうとしても無理があったと思うのです。

大石内蔵助は歌舞伎出身の役者さんがやれば、似合うのではないでしょうか。

愛人が何人もいる役は健さんに似合わない

現実の高倉健さんがどうであれ、健さんと言えば、「礼儀正しい、寡黙、ストイック、不器用だけれども真摯」というイメージがあります。

それは、高倉健さんがスターシステムから生まれた日本で最後のスターであったこと、スターシステムが崩壊しても、私生活を公開せずに出演作品を厳選することで「高倉健」というイメージを高めてきました。

それが、この映画では何人かの愛人が登場します。

  • 黒木瞳さん演ずる「きよ(旧赤穂藩士の未亡人)」を風呂場で抱きしめる。
  • 宮沢りえさん演ずる「かる」
    ・筆屋で「かる」と文字を書いて渡す。
    ・川の水を掬って飲ませてもらう。
    ・妊娠を告げるシーン
    「きっと・・・きっと・・・かえって来ておくれやす・・・うちはやや子を生みますさかい」
    「え?・・・」
    「この間から身体の具合がおかしいと思いましたら、やや子が出来てのつわりどした」
    石倉三郎さん演ずる瀬尾孫左衛門に300両を渡し、土下座をして「かる」と生まれてくる子の一生を見てやってくれ」と頼む。

大石内蔵助にお妾さんがいたのは事実のようです。

史実でも大石は妻を実家に帰してから身の回りの世話を頼んだ京都の二条京極坊二文字屋の娘可留(かる)という妾に手を出し、孕ませている。可留は元禄15年当時は18歳だと伝えられるが、生まれてきた子供は性別すら分かっていない。大石は赤穂藩の藩医の寺井玄渓に可留の子供を養子に出すよう頼んでいる。

また大石は、赤穂時代にもやはり妾を孕ませていた。

 (Wikipedia忠臣蔵」より)

また、映画は一本、一本独立しているのだから、「高倉健」というイメージにこだわるなというのも分かります。しかし、 お客さんは「高倉健」を見に来るのです。

  • 『四十七人の刺客』が公開されたときの高倉健さん 63歳
    実際の討ち入りをしたときの大石内蔵助 44歳
    万治2年(1659年)生まれ ・討ち入り元禄15年12月14日(1703年1月30日)
  • 公開当時、かるを演じた宮沢りえさん     21歳
    実際のかる     18歳

高倉健さんと宮沢りえさんのラブシーンには無理があります。

この映画はどう評価されたか

『四十七人の刺客』を見ましたけれども、少しも高倉健さんらしくありません。

高倉健さんが、なぜ『四十七人の刺客』に出演したのか。完成された映画からは想像することができません。この映画には出演しなかったほうがよかったと思っています。

なぜ出演したのか、こんなのを見つけました。

妻のりく(浅丘ルリ子)さけでなく、きよ(黒木瞳)、かる(宮沢りえ)などとも情を通じており、これまでの高倉のイメージにないキャラクターで、オファーされて当初は「髷をつけるのが苦手で似合わない」と固辞していたが監督に説得された。

『高倉健メモリーズ』高倉健全作品・独立時代(轟夕紀夫)p342

 断りきれなかったようです。

この映画の評価がどうだったかを紹介します。 

  • 第68回キネマ旬報賞
    助演男優賞(中井貴一)
  • 第18回日本アカデミー賞
    最優秀助演男優賞(中井貴一)
    最優秀美術賞(村木与四郎)
    最優秀録音賞(斉藤禎一・大橋鉄矢)
    最優秀編集賞(長田千鶴子)
    優秀作品賞
    優秀監督賞(市川崑)
    優秀脚本賞(池上金男・竹山洋・市川崑)
    優秀主演男優賞(高倉健)
    優秀音楽賞(谷川賢作)
    優秀撮影賞(五十畑幸勇)
    優秀照明賞(下村一夫)

日本アカデミー賞の評価が高かったようです。

*1:『高倉健メモリーズ』p211

*2:『高倉健メモリーズ』キネマ旬報ムック p224

*3:『健さんを探して』p45

高倉健さんが出演する映画は「健さんの映画」でなくてはならない・ 降籏康男監督『ホタル』

ホタル

目次

観客は高倉健さんを見に来る

今回は 2001年に公開された『ホタル』について書きます。

この映画を見終えて感じたのは、よくもこんなに複雑で難しい問題を「健さんの映画」に出来たものだということです。

高倉健さんが出演する映画は「健さんの映画」でなくてはなりません。

観客は、「高倉健」がスクリーンの中で胸のすくような行動をし、それに酔うためにお金を払っています。

脚本は高倉健さんを引き立てるためのものでなければならず、映画の主人公は観客が憧れるものでなければなりません。今回紹介する『ホタル』はそれがとても難しかったと思うのです。

この映画の企画は高倉健さんが言い出したものです。TV『知ってるつもり』で「知覧の母」と呼ばれた「鳥浜トメ」さんのドキュメンタリーを見た健さんが、降籏康男監督に持ち込んだものだそうです。*1 

特攻攻撃で亡くなった上官の遺品を親族に届けるだけの話なら、健さんらしい映画にはなりません。それをどうやって「健さんの映画」にしているのか。

理想化された自分自身としての高倉健

この『ホタル』 は、残り少ない命の妻のために夫は何をするかを描いたものです。

映画評論家の佐藤忠男さんは、「映画は個人の、国家の自惚れ鏡である」と言っています。

映画のなかでいい恰好を見せるヒーローやヒロインは、ファンの憧れの化身であり、ファンはそのスクリーンの中にみずからとけ込んで しまいたいと願う。つまりは、ファンは、スクリーンのなかに理想化された自分自身を見て、それに惚れるのである。

 (『映画をどう見るか』p8) 

妻は上官である特攻隊の許嫁でした。上官は沖縄の海に散り、山岡は生き残った。その上官は許嫁のために言葉を残していたのですが、それを告げていません。

上官から妻への遺言を伝える高倉健の男らしさ、潔さ、心の大きさに観客は魅せられます。

それは理想化された自分自身でもあります。

朝鮮人特攻隊の問題

上官の金山は朝鮮人の特攻隊でした。

日本が太平洋戦争で戦っているとき、韓国という国はありません。 1910年(明治43年)に韓国は日本に併合されています。*2

併合された経緯は理解していないのですが、朝鮮には衆議院の選挙区がなく、朝鮮に住む日本人にも国政への参政権はなかったようです。*3 

当時の朝鮮人は今よりも差別されていました。そんな中で勝ち組になるために金山が選んだ道は、完璧な日本人になり、日本語を学び、日本の軍人になることでした。

しかし、日本人の許嫁を残したまま、特攻で命を捨てることになってしまいます。

さらには、日本の敗戦によって韓国が独立し、日本のために戦って命を捧げた人は売国奴として罵倒されるようになります。

国家も遺族も遺骨や遺品を受け取るのを拒否するという問題があります。 

朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んだ英霊たち (新潮新書)

朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んだ英霊たち (新潮新書)

 

映画では「アリラン」を歌うシーンがあり印象的でした。

他の隊員には最後の別れに家族が来ているのですが、金山のところには誰も来ません。
「母さん、最後です。歌を聴いてくれますか」と知覧の母へ。
わざと明るく振舞っているのでしょう。思い込んだ様子もなく、軽い言葉から辛さが伝わってきます。
「山岡、藤枝! 貴様らも聴いてくれるか」
「はい!」
そして、アリランを歌います。

金山のモデルになった朝鮮人特攻兵がいます。 そして、現実にアリランを歌っています。

shuchi.php.co.jp 

朝鮮人特攻兵を描いたからでしょうか、Wikipediaの「ホタル (映画)」が「批判」の項目だけだったり、作品とは直接関係ないことを叩いている★ひとつのアマゾンレビューが人気だったり、残念なことになっています。

ホタル

ホタル

 

「ホタルになって帰ってくる」

この映画にはホタルが出てくるシーンが二つあります。最初は、特攻兵が「ホタルになって帰ってくる」といい、翌日にホタルが現れるというもの。ホタルがとても効果的に使われていて、どこからこんなエピソードが生まれたのだろうと、感心してしまいました。

まず、「ホタル」は特攻兵が最後に食事をした「ホタル館」から思いついたのでしょう。

こんなことから、ホタルに生まれ変わるエピソードに発展したのかも知れません。

腐草為蛍
読み方:かれたるくさほたるとなる

七十二候の一つ。二十四節気の芒種の次候にあたり、6月11日~6月15日ごろに相当する。季節は仲夏。腐草為蛍は、それ自体としては「腐った草が蒸れ蛍になる」などといった意味。また、芒種の初候は「螳螂生」と言い、末候は「梅子黄」と言う。なお、腐草為蛍は「略本暦」における呼び名であり、元となった中国の宣明暦では「鵙始鳴」と呼ばれ、「鵙が鳴き始める」などといった意味である。

 (「Weblio 辞書 > 日本語表現辞典」より )

それを、出撃する特攻兵に「ホタルに生まれ変わって帰ってくる」と言わせることによって、愛する人たちと分かれる無念さが見事に表現されています。

このエピソードを語る奈良岡朋子さんの演技が見事です。

「知覧の母」と呼ばれた「鳥濱トメ 」が、そのエピソードを訪ねて来た元特攻兵・藤枝(井川比佐志さん)とその孫(水橋貴己さん)に話します。

宮川という軍曹が、一度目の出撃のときに機体の故障で引き返したのを気にして、「今度こそ敵艦を撃沈して帰ってくる」と言います。
どうやって帰ってくるのか。
「ホタルになって帰ってくる。だから、ホタルがきたら僕だと思って、追い払わないで、良く帰ってきたと迎えてください」

次の晩。出撃する兵隊がお酒を飲んでいるところへ、ホタルが飛んできます。

奈良岡さんは「あぁ、宮川さん」と叫んでしまい、みんなは「宮川~!宮川~!」と叫ぶ。

知覧の特攻隊の出撃は、それから六日に終ったと話を閉じます。

そんな話を回想の映像を交え、「24:14」あたりから「32:14」までの8分間、 奈良岡朋子さんが語ります。

聴いてみてください。ホタルになって帰ってくるなんてあり得ないのかも知れませんが、そんなことはどうでもよくて、宮川が生きていて欲しかった、宮川が帰ってきたんだという、みんながの思いが伝わってきます。

参考

映画『ホタル』のロケ地を訪ねたブログを見つけました。

今年の春に鹿児島学習センターの面接授業「鹿児島湾洋上実習」に行ってきました。

blog.goo.ne.jp

今度は指宿あたりに行きたくなりました・・・。

*1:『高倉健メモリーズ』「ホタル」世紀が変わる節目の時期にやらなくてはいけないことがある p193

*2:「日韓併合」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

*3: 戦前における内地人と外地人(朝鮮人)の国政参政権 | 歴史 | 中学校の社会科の授業づくり

テネシーワルツが流れる高倉健さんの映画・ 降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』

鉄道員(ぽっぽや)

鉄道員(ぽっぽや)

 

目次

高倉健さんの映画にテネシーワルツはずるくね?

『鉄道員(ぽっぽや)』は1999年6月に公開されました。シネプレックス幕張がオープンしたのが2002年。まだ幕張に映画館がなくて、千葉の古い映画館で見ました。

オープニングは汽笛とともに走るダイナミックな蒸気機関車D51。豪快に煙を吐き、蒸気機関がジュ、ジュ、ジュ、ジュと走ります。

石炭をくべる佐藤乙松(高倉健さん)。

そこに大竹しのぶさんのハミングで「テネシーワルツ」が流れます。

佐藤乙松(高倉健さん)と妻・静枝(大竹しのぶさん)の古い写真。

あれ、ずるくね?

「テネシーワルツ」と言えば高倉健さんの奥さんだった江利チエミさんの歌。

高倉健さんに「テネシーワルツ」をかぶせれば、江利チエミさんとの離婚、そして死とう悲しい出来事が脳裏に浮かぶ人は多いはずです。*1

「テネシーワルツ」は何度も登場してきますが、健さんは、脚本の段階から気にしていたようです。

東京に帰ってから健さんに「テネシー・ワルツ歌えますか?」って聞いたんです。 
 すると健さんはしばらく考えてから、「あんまり個人的すぎちゃって、ダメじゃないですか」と言うから、「僕らも歳だし、これで最後になるかも知れないから、もういいじゃないですかね……」っていうやり取りがしばらく続きました。

 ようやくクランク・インのときに、「健さん、あれで行きますよ」と

伝えたら「分かりました」と了承してくれたんです。

『永久保存版 高倉健 1956~2014』降籏康男「健さんと生きた57年」p63

高倉健さん ⇒ 江利チエミさん ⇒ 「テネシーワルツ」と連想する観客は多い思いますが、その連想がなくても、ゆったりとしたリズムの音楽はジーンと身に染みます。

I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz ・・・

見どころは「テネシーワルツ」だけではありません。

原作の浅田次郎さん、降籏康男監督、脚本の岩間芳樹さん、高倉健さんは何を描いのでしょうか。

この映画の見どころを紹介していきます。

ドラマはどんな構造をしているか

ドナルド・リチーの『映画のどこをどう読むか』を読みだしましたら、『戦艦ポチョムキン』は空間(場所)と時間が統一され、艦上か海岸に場所をとり、それ以外の場所はないという事が紹介されてました。

映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)

映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)

 

このことは放送大学の授業科目『舞台芸術の魅力』の「フランスの古典主義演劇理論」でも取り上げられていました。 

舞台芸術の魅力 (放送大学教材)

舞台芸術の魅力 (放送大学教材)

 

<3つの《単一統一性》の規則>が守られなければならない。*2

  1. 筋の《単一統一性》
    ただひとりの主人公の、単一の筋のみを持っていなければならない。
  2. 時の《単一統一性》
    できるだけ「太陽が一回りする時間内に」納められるべきである。
  3. 場所の《単一統一性》

『鉄道員(ぽっぽや)』が<3つの《単一統一性》の規則>を取り入れて作られていることに気が付きました。

筋の《単一統一性》

主人公は高倉健さん演ずる定年退職を迎える廃止寸前の幌舞駅長・佐藤乙松。

僚友の小林稔侍さん演ずる杉浦仙次はトマムのリゾートに再就職が決まり、乙松を心配するが、鉄道のこと以外は出来ないと頑固。

 彼の身に起こった奇跡が描かれる。

時の《単一統一性》

正月の何日間に3人の女児が訪れる。

乙松の過去も描かれるが回想として処理されている。

  • 娘の墓の前。
  • 病気の女児を駅から送り、遺体を迎える。
  • 具合の悪い妻を見送る。
  • 妻の死。行けない乙松。
  • 妻が17年間も待ち焦がれた子どもが出来たという報告。
  • 志村けん演ずる酒癖の悪い期間工の炭坑夫。炭鉱の事故で亡くなるが、その息子が食堂の養子となり立派なイタリアンシュフになる。

場所の《単一統一性》

基本的に「幌舞駅」。例外に「美寄駅」がある。小林稔侍さん演ずる杉浦仙次と息子が退職後の乙松を心配しているシーン。雪の中を走る列車なども例外。

<3つの《単一統一性》の規則>のメリットは何だろう?

正月の何日間に3人の女児が訪れるという奇跡がメインの話だ。それを《単一統一性》を無視し、全てを時間順、それぞれの場所で描けば、女児が訪れる奇跡は最後に固まったものになってしまい、散漫なものになってしまっていたでしょう。

なぜ乙松はあんなにも鉄道を大切にするのか

男の子は電車が大好きです。何歳まで電車が好きなのか個人差はあるでしょうが、鉄道マニアの大人も多いのです。

『鉄道員(ぽっぽや)』にはタブレットが登場します。これは単線での上り・下り列車の衝突を避けるためのもので、区間を決めて、このタブレットをもっている車両だけが区間に入れるようにするためのものです。

こちらに分かり易い説明があります。

こちらが「ウィキペディア」の説明。充実しすぎて膨大な情報量になり、「これがタブレット閉塞器だ!」の方が分かり易くなっています。鉄オタ恐るべし。

高倉健さん演ずる乙松はとても鉄道を大切にします。

どんなにさびれた駅でも、乗客が一人でも、いなくても、正確に時間通りに鉄道を運行させる。それが誇りでもあります。

使命感の強い乙松は、家族を犠牲にすることになります。

妻、子供が病気でも、代替え勤務の人がいなければ鉄道から離れることはできません。そのため、子供を失い・・・妻を失い・・・乙松は孤独な老後を迎えそうです。

小林稔侍さん演ずる仙次は、乙松と対照的に幸福です。妻がいて、息子はJRの幹部、孫も生まれ、トマムのリゾートに再就職が決まっている。乙松が面倒をみて、養子にまでしようと考えた志村けんの息子も立派なイタリアンシュフになっている。

高倉健さん演ずる乙松は、「オレはいいんだ」と、他人を羨ましがる素振りも見せません。そんな強い使命感の健さん。観客は「それでいいんだ」と応援します。そして、最後に訪れる奇跡を我がことのように喜びます。

しかし、なぜ乙松はあんなにも鉄道にこだわるのでしょう。妻、子供が病気でも、交代要員が見つからないと駆け付けることはできないのです。

臨終に間に合わなかった乙松。泣いてやれと非難されますが「おら、ポッポやだから身内のことで泣くわけにはいかんですよ」と涙を流します。

交代要員を探すシーンもなく、後から台詞で語られるだけに、よけいに乙松の使命感が悲しくなります。

大竹しのぶさんが妊娠を告げるシーンは名場面だ

大竹しのぶさんと言えばリアルな演技には定評があります。「ウィキペディア」の映画・受賞歴をみても、いかに演技の巧みな女優さんであるか、一目でわかります。

わたしの記憶に残っているのでは『男女7人夏物語』で、明石家さんまさんとの、喧嘩のような、ラブシーンのような、漫才のようなやりとりは見事なものでした。

それに対して、不器用がセールスポイントの高倉健さんが見事に絡んで名場面を作り上げています。

雪の中ひとりホームに立つ乙松は、妻がお腹に子どもが出来たと知らせに来たことを思い出します。

大竹しのぶさんの「テネシーワルツ」のハミング。大竹しのぶさんがニコニコしながらくる。

列車の雪を取り除いている乙松。

「どうしたの?」
「やっぱりだった、赤ちゃん」
「赤ちゃんよ」
「診療所の先生が」
「ほんとう? ほんとかよぉ」
「2ヶ月半だって」
「えー・・」
「キャハハ」と静枝、ホームから飛び降り、乙松に抱き着く。
「17年目だよ、あんた」
「人にみられるよ、勤務中だぞ」
「勤務中でもいい、大丈夫、大丈夫」
「よくないよぉ」
「あんたって人がわからなくなる。嬉しいなら嬉しいって、言ったらいいっしょう」
「やめろよぉ・・」

こんな芝居を「1:15:14」あたりから「1:19:27」まで、4分以上もやるんです。

静枝は17年も子どもが産めないことを気にしていたことを話します。
もう、乙松のところを明石家さんまさんがやってもいいくらい。

台詞は全部メモしましたけれど、紹介はこのくらいにします。

後は映画で名場面を観てください。

まとめ

降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』 について以下のことを紹介しました。

  • テネシーワルツが高倉健さんの奥さんだった江利チエミさんを思させること
  • フランスの古典主義演劇理論の 3つの《単一統一性》の規則に近い作り方であること
  • 鉄道好きで使命感・責任感が強い健さんが不幸になってしまうことについて
  • 大竹しのぶさんが妊娠を告げる名場面について

いい日本の香りのする映画でした。みなさんにも『鉄道員(ぽっぽや)』の素晴らしさを味わってほしいと思うのであります。

高倉健さんは最後の映画『あなたへ』で何を伝えたかったのか

あなたへ

あなたへ

 

 この写真は散骨のために行った長崎の写真屋のショット。古い少女の写真を見つけて物思いにふけっているところです。妻の若いときなの?と、新たな展開を期待しますが、何も起こりません。手にもっているのは死んだ妻からの絵手紙です。

映画のタイトル「あなたへ」はその手紙の最初の言葉から。

目次

健さんは企画を提案しても簡単には応じない

映画は一般に監督のものと言われます。しかし、高倉健さん映画に出演して貰おうとすると簡単にはいかなかったようです。*1

ですから、晩年に公開された高倉健さんの映画はこんなに少なかったのです。

西暦 年齢 タイトル 監督 職業
1994 63歳 四十七人の刺客 市川崑 武士
1999 68歳 鉄道員(ぽっぽや) 降旗康男 鉄道員
2001 70歳 ホタル 降旗康男 漁師
2005 74歳 単騎、千里を走る。 張芸謀 漁師
2012 81歳 あなたへ 降旗康男 刑務所の指導教官

公開する映画の間隔も長くなり、「高倉健」というキャラクターを生かすのが難しくなっていったのが想像できます。
そんな健さんの気持ちを、沢木耕太郎さんが次のように紹介しています。

 かつて、高倉さんが羨ましそうに、そして少し悲しそうにこう言うのを聞いたことがあった。

「ハリウッドのスターは、一本撮り終わると、家の机に積んである何十冊もの脚本を読んで、その中から次の作品を選ぶことができるらしいんだ。こっちは、一冊もないどころか、仕事が決まってもまだホンが書き上がるのを待っていなかればならないくらいなんだからなあ」

『永久保存版 高倉健 1956~2014』沢木耕太郎「深い海の底に-高倉健さんの死」p73 

「四十七人の刺客」を最後に、演じる職業が平凡な庶民になっていったのにも、脚本を書く人、高倉健さんの意志を感じます。

では、これだけ高倉健さんが待ちに待ち、選びに選んだ映画のテーマは何だったのでしょうか。

最後の出演作品『あなたへ』で、高倉健さん、降旗康男監督、脚本の青島武さんは何を描きたかったのか。今回は、それを考えます。

妻の散骨をするために長崎へ旅をするロードムービー 

富山刑務所の隣。アイロンをかけている初老の男。質素な生活をしていて几帳面な印象です。
「慶長休暇なのに何しているんですか」

奥さんがなくなって、慶長休暇なのに出勤している健さん。

日本人だなぁ、と思います。

刑務所の指導教官をしている倉島英二(高倉健さん)は亡くなった妻からの手紙を受け取ります。妻の洋子(田中裕子さん)がNPOへ手紙を頼んでいたのです。

「あなたへ 私の遺骨は故郷の海へ撒いて下さい」

もう一通の手紙は長崎の郵便局で受け取るようになっていました。健さんは妻の散骨をするために長崎へ旅をします。そういうロードムービーです。

旅の途中に健さんが何人かの男に出会いますが、その人たちはどれも家族に問題を抱えています。

  1. まず、ビートたけしさんが演ずる男に出会います。
    妻に先立たれ、キャンピングカーで全国を放浪している。元国語教師で理屈っぽく種田山頭火の俳句の本をプレゼントするが、車上荒らしだとわかり逮捕。
    その侘しい姿に観客は同情する。
  2. イカめしの実演販売で全国を飛び回るSMAPの草彅剛さん。ちゃっかり車に同乗させてもらう。
    草彅さんは妻が不倫をしているらしく、その現実から逃れるために出張ばかりしている。
    観客はやはり同情して、世の中はなかなかうまくいかないものだと思う。
    草彅さんに言われたことを断れず、こき使われてしまう健さんがカワイイ。
  3. 年長だけれども、草彅剛さんの部下の佐藤浩市さん。
    平戸で困ったことがあったら大浦吾郎を訪ねろとメモを渡す。
    佐藤浩市さんも家族に会えなく辛い(理由を言うとネタバレになる)
  4. 余貴美子さん演ずる食堂の経営者。夫が海で遭難して行方不明になっている。
  5. 綾瀬はるかさん演ずる食堂の娘
    山口百恵さんの息子が演ずる大浦卓也英二と結婚することなっていて、喧嘩したり、仲直りしたり。

女性が一人も登場しない映画もありますが、この映画にはそれぞれのカップルの在り方が描かれます。

画面には登場しませんが、観客は高倉健さんも江利チエミさんを失っているのを知っていますし、観客ひとりひとりにも似たような思いがあります。

観客はそれらを考えながら映画を見ていくことになります。

妻の深い愛情に気づいていく旅 

妻を失った健さん。妻を回想するシーンが流れます。

この映画は高倉健さんが主役ですけれども、描かれるのは妻・洋子のことです。

  • 洋子は刑務所へ慰問に来ていた童謡歌手でした。宮沢賢治「星めぐりの歌」。慰問に来なくなった洋子と木工品の展示会で会う。
    そして、たった一人の受刑者に聞いてもらうために来ていたという。
  • 大阪のノミ、カンナを売っている道具屋。
    道具を見ていると妻が現れる。
    「欲しいんでしょ。子どもみたいな顔をして見ていたわよ」
    「いい道具だけどちょっと高いなぁ」
    「いいわよ。あなたの定年のお祝いに買いましょ。これからも嘱託の作業技官で働けるんですもの」
    「でも、おれにはもったいない・・・」
  • 病弱な妻は自分がいなくなったあとにのためにレシピを渡す。
    木工手作りのキャンピングカーでぎこちなく料理を作っている健さん。
  • 「木工の指導技官になろうと思うんだ」
    「あなたに向いていると思うわ」と背中を押してくれる妻。

これが高倉健さん、降旗康男監督、脚本の青島武さんが考える理想の奥さん像だといえるでしょう。

観客はこんな理想の奥さんがいる高倉健さんを観て、いい人生だったねと安堵します。それが理想の自分の人生だからです。仕事は、漁師や鉄道員、刑務所でいいんです。

平戸の古い写真屋に飾ってある写真をみて、妻の若いときを想像する健さん。

最後、健さんは妻に「ありがとう」といいます。

これが観客が理想と考えた高倉健さんの姿です。

妻への感謝の気持ちが湧いた

『あなたへ』は公開当時、妻と一緒に劇場で見たと思います。前回と違うのは、映画の健さんと同じように妻が亡くなってしまったこと。ゆっくりと見直してみて、私も妻への感謝の気持ちが湧いてきました。

  • 妻は病弱でなかったけど、煮魚のレシピを貰ったことがあるなぁ。
  • 高価PCを買うときの態度は、大阪の道具屋に現れた妻がいうことと同じようなことだった。
  • 似たように背中を押してくれた妻。

22日に浦和にお墓参りにいきます。

そのときは、健さんと同じように妻に「ありがとう」と言ってこようと思います。

なぜ、高倉健さんはどんな役を演じても「高倉健」だったのか

目次

高倉健さんと言えば「ヤクザ映画」

高倉健さんの出演した映画はどんな役名でも、「高倉健」というキャラクターでした。そう感じる原因は、あまりにも多くの「ヤクザ映画」に出演したことにあります。

1963年、32歳の高倉健さんは、鶴田浩二さん主演の「人生劇場 飛車角」に出演します。そして、それをきっかけに「ヤクザ映画」シリーズに主演するようになります。

  • 日本侠客伝シリーズ・・・11本
  • 網走番外地シリーズ・・・18本
  • 昭和残侠伝シリーズ・・・9本

その他にも、藤純子さん主演の「緋牡丹博徒」シリーズの7本に出演、さらに鶴田浩二さん主演のものなど、東映はヤクザ映画を作りまくり、それに出演していたのです。

しかも、高倉健さん主演のヤクザ映画は、大ヒットを続けます。ベストテンのうち4本が高倉健さん主演のヤクザ映画という年もあったくらいです。

次に「年度別映画興行成績 - Wikipedia*1を参考に、ベストテンのうち何本が高倉健さん主演のヤクザ映画だったのかを示します。

  • 1965年・・・4本
  • 1966年・・・3本
  • 1967年・・・2本(うち、1本は『あゝ同期の桜』)
  • 1968年・・・3本(うち、2本は鶴田浩二さん主演)
  • 1969年・・・2本
  • 1970年・・・2本
  • 1971年・・・4本
  • 1972年・・・3本
  • 1973年・・・2本(うち、1本は『ゴルゴ13』)
  • 1974年・・・1本(2本立)

ベストテンに4本入ったのが2回、3本入ったのが3回、2本入ったのが4回と圧倒的な人気だったのです。

1976年に高倉健さんは東映を退社しています。

微妙に繋がる高倉健さんのキャラクター

高倉健さんは「ヤクザ映画」以外の映画に出演するようになります。

しかし、高倉健さんと言えば「ヤクザ映画」というように、あまりにもヤクザのイメージが強く、その後の役にも仁侠映画で演じたイメージが引き継がれていくことになります。

ヤクザのイメージはなくなりますが、職業が『夜叉』と同じ漁師の映画が二本あります。

  • 『ホタル』
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    戦死した特攻隊員の婚約者と結婚した特攻隊の生き残りの健さん。
    職業は漁師。スーツを着たサラリーマンは似合わない。
    若い漁師たちに「エンジンの調子が悪いから見てくれ」と言われ、エンジン音を聞いただけで整備すべき点を指摘するシーンがある。これは『海へ 〜See you〜』で凄腕メカニックのイメージを引き継いだもの。

  • 『単騎、千里を走る。』
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    親として愛情を注いでやれなかった民俗学者の息子が余命少ないと聞き、 息子が研究していた中国仮面劇「単騎、千里を走る。」を一人撮影に行く。
    その旅は息子への懺悔でもあった。これも漁師。

それと、武田鉄矢さん主演の『刑事物語』に『駅 STATION』で演じた「三上英次」という役名そのままで出演もしています。

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映画は一本でストーリーが完結します。

しかし、高倉健さんの場合は、こんなふうに「高倉健」というキャラクター微妙に繋がり続けているのです。

自分の胸がスパークする映画だけに出演した健さん

東映時代は1年に10本以上撮影し、そのうちベストテンに4本も入るという人気の高倉健さんでしたが、1976年に東映を退社してからは、出演する映画が極端に少なくなります。そのあたりのことを降籏康男監督がこう話しています

独立後の健さんは、プロデューサーが新しい企画を提案しても簡単には応じませんでした。 どんな映画になるかが決まるまでに一年、それから最初の脚本を渡して修正を加え、最終的なOKが出るまでにまた二年も三年もかかるといった具合です。

 『永久保存版 高倉健 1956~2014』「独占インタビュー・降籏康男 健さんと生きた57年」p61

 降籏監督は、「健さんは自分の胸のうちでスパークするものを大切にした方です」と言います。

この記事で、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、山田洋二監督に「『男はつらいよ』を健さんでやられては」と提案した話を紹介しました。

頑として受け入れない健さんが目に浮かぶようです。

東映を退社してから36年、その間に22本の映画に出演しました。

高倉健さんは「自分の胸のうちでスパークする」映画を求め、「高倉健」というキャラクターを完成させていったのです。

 

*1:1970年~1973年は正確な数字が発表されていない。邦画配給会社別の好稼働番組から推測

「高倉健」というイメージの出発点・マキノ雅弘監督『日本侠客伝』(1964年)

 

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「高倉健」というイメージのなりたち

高倉健さんの出演した映画はどんな役名でも、「高倉健」というキャラクターでした。

それなのに、『男はつらいよ』を健さんで」と言う話があったというのを見つけて驚いてしまいました。そんなことを話しているのはスタジオジブリの鈴木敏夫さんです。

 じつは渥美清さんが亡くなった後で山田監督と話をしたとき「『男はつらいよ』を健さんでやられては」と提案したんです。初期は、コミカルな役をたくさん演じていましたからね。『喧嘩社員』『無敵社員』(ともに57年)の健さんってほんと面白いんですよ。空手シリーズや『大学の石松』(56年)とか、美空ひばりの相手役だったサラリーマンものも良かった。山田さんも「面白いかもしれない」と仰って、次にお目にかかったとき、「シナリオが出来たんです」と言われたんです。結局は幻となりましたが、実現していたら新しくて面白い「男はつらいよ」になったでしょうね。

「永久保存版 高倉健 1956~2014 (文春MOOK)・鈴木敏夫(スタジオジブリ・プロデューサー)『登り龍』は仁侠路線最高峰の傑作」p160 

「高倉健」というイメージは健さんが一生かけて作り上げたものです。それを壊したくないという思いから、断ったのではないでしょうか。

晩年には本名をイメージさせる映画がありました。張芸謀監督の『単騎、千里を走る。』です。この映画の主人公が「高田剛一」。健さんの本名が「小田剛一」ですから一字違いです。いかに「高倉健」のイメージを生かしたかったがよく分かります。

さて、「高倉健」というキャラクターのイメージはどのように築かれて来たのでしょうか。

高倉健さんは生涯205本の映画に出演しています。そしてそれは、次の三つの期間に分けることが出来ます。

  1. 東映に入ったものの、ヒット作がなかった時代。
    1956年(25歳)~1963年(32歳) 81本
  2. ヤクザ映画シリーズに出演したドル箱スター時代。
    1963(32歳)~1975(44歳)  102本
    『日本侠客伝』(11本)・『網走番外地』(18本)、『昭和残侠伝』(9本)
  3. 東映を退社して優れた人格のイメージが積み重なっていく時代。
    1976(45歳)~2012(81歳) 22本
    『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『冬の華』『遙かなる山の呼び声』等

ドル箱路線の 「ヤクザ映画」シリーズが始まる切っ掛けは、鶴田浩二さん主演の『人生劇場 飛車角』に出演したことでした。

この映画のヒーローは主演の鶴田浩二さん。高倉健さんは助演ですから、不器用でもストイックでもありません。

『日本侠客伝』が「高倉健」の出発点

そして、96本目の『日本侠客伝』からヤクザ映画シリーズが始まり、ここから本格的に「高倉健」のイメージが作られていきます。

『日本侠客伝』のどこがファンの琴線に触れたのでしょう。私が考えるポイントは三つあります。

  • ヤクザという封建社会で忠義を果たすための犠牲を美しく嘆く
  • 耐えに耐え、殴り込みによりヤクザのいない自由な社会になるという爽快感
  • 愛を語らないけれどモテる健さん

これらについて考えていきます。

忠義のための犠牲を美しく嘆く

舞台は明治から大正の深川木場。ふたつのヤクザが対立していました。古くから材木運送を仕切っていた「木場政組」と新興勢力の「沖山運送」です。

木場政の親分がなくなり、兵役から帰ってきた長吉(高倉健さん)が小頭になります。

そんなとき、南田洋子さん演ずる粂次の沖山に背負わされた借金を払ってくれた鉄(長門裕之さん)が殺されます。横恋慕していた沖山のメンツが立たなくなったからです。

しかし、証拠がありません。そこで、「木場政」の親分に世話になっていた中村錦之助さん演ずる清治が決意します。清治は妻のお咲(三田佳子 さん)と逃げたのを「木場政」の親分にかくまって貰っていて、いつかその恩を返さなければならないと考えていたのです。

「あっしもヤクザのはしくれだ。それを知っていれば打つ手は知っている」

ヤクザを止めて二人でたばこ屋を開きたかったお咲。そのお咲と娘を残して、迷惑がかからぬよう「木場政」への絶縁状を書いて、一人沖山へ殴り込みに行って死にます。

誰に頼まれた訳ではなく、いわゆる自主的な忖度によるものです。この別れが情緒豊かに美しく描かれます。

現実問題として、木場政親分への恩と妻のお咲との幸福を考えれば、普通は家族が大切と考えるものです。そこをあり得ないギリギリのリアリティとして「親分への恩」を大切にすることで「忠義」の美しさが生まれてきます。

架空の映画では、成立するならば何を起こしてもいいのです。平田オリザさんが『演技と演出』の中でこう言っています。 

演技と演出 (講談社現代新書)

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言い換えれば、俳優は科学者に見えるのなら、何をやってもいいのです。俳優は科学者に見えるという範囲で、標準的(と思われている)な科学者像から、最も遠いところを探さなくてはなりません。私はこれを、「最も遠いリアル」と呼んでいます。p158

「最も遠いリアル」が 「親分への恩」のために自分の命を捨てることなのです。

新渡戸稲造の『武士道』を紹介したとき、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の話にも触れました。

「木場政組」と「沖山運送」に子ども時代に仲良くしていた二人の男が登場します。

「おいらはばくち打ち。親分子分の盃事で体を染めているんだ。黒いものでも白いと言われりゃ、嫌とは言えない渡世なんだ。だがよ、お前たちは気の合ったもの同士、仁侠一筋に生きてろ。おれはおめぇたちがうらやましいせ」。

沖山にいる男が木場政にいる男に言います。そして、二人は壮絶な殺し合いをすることになります。

忠義を果たそうとすれば犠牲にしなければならないものが生まれます。その狂気の嘆く美しさをこれでもかと丁寧に描いていくのが任侠路線の映画です。

弱者のために殴り込み、ヤクザ封建社会が崩壊する 

深川の木場で「木場政」と「沖山」が材木運送を仕切り、「かすり」を取っていました。それが「沖山」の悪事に耐えきれなくなった小頭の長吉(高倉健さん)が弱者のために「男の喧嘩は一生に一度しかない」という親分の言葉を胸に殴り込みをします。

ポイントはただの殴り込みではないことです。「これからは、かすりを取るオレたちのような人間がいてはいけない時代だ」と「木場政」は解散しますが、それだけではヤクザ封建社会が残りますから「沖山」を壊滅させるのです。

ヤクザ封建社会から自由な社会へ。 明治維新のようでもあり、マルクス主義の革命のようでもあります。

「TBSラジオ たまむすび(2014/11/18)【追悼】町山智浩 高倉健さん死去」によりますと、学生運動の左翼学生、警察、ヤクザが、同じ映画館に入ってこの映画をみていたといいますが、頷ける話です。
沖山は警察にまで手を回して木場政を潰そうとします。料金は木場政の7割。馬力が沖山へ移ってどうにもならなくなったのを見計らって、料金を倍にして木場政よりもずっと高くなってしまいます。

鉄(長門裕之さん)が殺され、その報復に清治(中村錦之助)が親分に世話になっていた恩を返しに一人で殴り込みに行き死にます。

健さんは耐えに耐えて耐えきれず、殴り込みで沖山を崩壊させて「かすり」のいらない社会を作ります。そして、自分は刑務所に入ります。

愛を語らないけれどモテる健さん

佐藤忠男さんが映画の主役を「立役」、「二枚目」 に分けて解説しています。そして、高倉健さんは「立役」であり、愛を語らないと言います。

高倉健はなぜ愛を語らないのか

世界の映画と比較しながらスター俳優の身振り表情や風格が語る<日本的なもの>とはなにかを読み解く。著者長年の日本映画研究の到達点を示す力編。

「二枚目の研究―俳優と文明」の帯より。

二枚目の研究―俳優と文明

二枚目の研究―俳優と文明

 

(表紙は『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健さんと倍賞千恵子さん)

「立役」とは、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助のゆな役であり、男性から愛を語ることはありません。

それに対して、近松門左衛門の『曽根崎心中』や『心中天網島』の男性は愛を語ります。肩をついただけで転びそうな「つっころばし」の二枚目。金も力もなく、一緒に心中をするくらいしかできません。

「立役」の主人公は男性に人気はありますけれども、女性にはイマイチ。それで二枚目が生まれてきたと佐藤忠男さんは言います。

『日本侠客伝』の高倉健さんは完璧に立役で、自分から愛を語ることはありません。

デビュー作の『電光空手打ち』/『流星空手打ち 』のように登場する女性は全部健さんに惚れる訳ではありませんが、モテるのです。

殺される鉄(長門裕之さん)は南田洋子さん演ずる粂次に惚れていますが、粂次は長吉(健さん)に惚れている。しかし、長吉にはおふみ(藤純子さん)といういいなずけがいるのです。

モテる「立役」の主人公は観客の憧れ。そんな計算から生まれた設定のようです。

まとめ

高倉健さんの出演した映画はどんな役名でも、「高倉健」というキャラクターでした。

そのキャラクターはいつから作られ始まったのか。

 マキノ雅弘監督の『日本侠客伝』から、というのが私の答えです。

それから「高倉健」というキャラクターはどのように変化していくのか。

続きをお楽しみに。

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高倉健さんのデビュー作・『電光空手打ち』/『流星空手打ち 』(1956年)

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空手を通じて成長する青春物語

高倉健さんのデビュー作です。

1943年、東宝は黒澤明監督のデビュー作『姿三四郎 』を大ヒットさせました。続いて『續姿三四郎』(1945年)も制作しています。それに対抗して東映た作ったのが、沖縄空手の若き天才児を主人公にしてこの映画だと思われます。
空手の闘いを通じて成長していく、忍勇作(高倉健)の青春物語。ドイツ教養小説 (ビルドゥングス・ロマン Bildungsroman)です。

観客は自分の分身であるスクリーンの中主人公の成長を楽しみ、あるいは心配しながら成長を見届けます。

高倉健さんと言えば、礼儀正しく、無口でストイック。不器用だけれども、意志が強いイメージですが、人格として考えると若くて暴走しやすく、晩年の「高倉健」にはほど遠い。『巨人の星』の星飛馬や『明日のジョー』に近いイメージでしょうか。

一枚のDVDに『電光空手打ち』と『流星空手打ち 』が入っており、どちらも1時間程度。

『電光空手打ち』は舞台が沖縄、『流星空手打ち 』の舞台は東京です。

『電光空手打ち』 の健さんは青い 

大正時代の沖縄。空手の主導権争いをする二つの対立流派、名越一門と中里一門。

映画は中里一門の忍勇作(高倉健)が 名越を襲うところから始まります。ところが全く歯が立たず、手も出せずひれ伏してしまい、自分の流派を継ぎ娘と結婚するのを期待されているのに、忍勇作は寝返って名越の弟子になろうとします。

雨に打たれても、名越の弟子になること望み許されます。

裏切った中里の娘・恒子は忍勇作を愛しながらも、忍勇作を恨み、対立していきます。

高倉健さん主演の映画ではありますけれども、若く血気盛んで忍耐もありません。

人格も師匠である名越義仙の方がずっと上です。師匠に「闘うな。逃げろ」と言われるのに闘ってしまいます。

湖城空典(加藤嘉さん)にも世話になりますが、湖城空典の方が人格も空手も優れています。
映画で描かれるのは高倉健さんの空手の強さ、空手の道を目指す若さ、熱気でしょうか。

しかし、渋い高倉健にはまだまだ。25歳の高倉健は青いのです。

『流星空手打ち 』の 健さんは女性にモテまくる

「電光空手打ち」の続編です。

向上心に燃えて沖縄から上京したけれど、忍勇作(高倉健)は生活が出来ず、ルンペンになっています。左卜全に励まされる若き高倉健さん。
学生が取り囲まれているところを一緒に闘い助けると、学生は裕福な三河屋息子でした。

学生に望まれ、仕事を手伝いながら、学業にいそしみ、空手を教えます。

ルンペンたちの住んでいるところを抜け出すときには、「あんたはこんなところにいる人ではない」と小銭の餞別を貰います。ルンペンにも好かれる高倉健さん。

ルンペンに生きる道を教えられるシーンもあります。どんな人からも学ぶ謙虚さは「八甲田山」の徳島大尉に通じるところがあります。

忍勇作は女性にモテまくります。

三河屋の娘、芸者春駒にもモテる。中里恒子は忍勇作への思いを断ち切れず、中里一門の後継者・赤田鉄才は三角関係に悩みます。

本命は湖城空典(加藤嘉さん)の娘・志那子。彼女の沖縄舞踊には父の編み出した「流星の型」が登場します。「流星の型」をすると音楽が変わって急に強くなりますから、観客は安心して観ていられる。

登場する女性はみんな忍勇作の惚れるというのは、どういう計算からでしょう。主人公は観客の分身であり、自惚れ鏡(佐藤忠男さん)です。だから、観客は嬉しいだろうということでしょうか?

中里たちは忍勇作に裏切られたことに対して怒り、復讐をしようとします。赤田鉄才に探し出され、勝負を挑まれます。

 名越一門の空手は攻撃をしません。試合を挑まれ、挑発されてもじっと耐えます。

試合を挑み挑発するのが「悪」、じっと耐えるのが「善」という構図です。

まとめ

高倉健さんのデビュー作『電光空手打ち』とその続編『流星空手打ち 』を見ました。

高倉健さんと言えば、礼儀正しく、無口でストイック。不器用だけれども、意志が強いイメージですが、人格として考えると若くて暴走しやすく、晩年の「高倉健」にはほど遠いイメージです。

 『人生劇場 飛車角』から『日本侠客伝』、『網走番外地』、『昭和残侠伝』シリーズ。

そのあとに「高倉健」としてのキャラクターが完成していきます。

『人生劇場 飛車角』が高倉健さんの82本目の映画。それまで、青春アクション、サスペンス&スリラー、アクション、コメディと色んな映画に出演しています。

「高倉健」は一日にしてならずです。

それではまた。

 

雪の中で兵隊が死んでいくだけの映画はなぜヒットしたのか・高倉健主演『八甲田山』(1977年)

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高倉健さんのスペシャリストを目指す

なぜ、山田洋次監督『遙かなる山の呼び声』(1980年)を見るべきか」を書くときに、高倉健さんを称賛する追悼コメントを沢山見つけました。スクリーンの中の高倉健さんとリアルの高倉健さんが混同された美談のエピソード。それらを読んで、日本人が求める理想像は高倉健さんなのではないかと思いました。

このブログは「放送大学生」というのが特徴ですけれども、何かのスペシャリストというものがありませんでした。ライフワークとして追及するテーマです。

そこで思いついたのか「高倉健」です。プロデューサー、監督、脚本家、そして、本人の高倉健さんは、スクリーンの中に理想化された「高倉健」を作って観客に見て貰います。それについて考えて行けばライフワークになるのではないかと考えました。

「高倉健」のネタが尽きれば他のテーマがありますけれども、私たちは(私は)、何を求めて、映画やドラマを観るのでしょうか。文芸もそうですけれども、テレビのワイドショーや事件を、私は何を求めて見ているのか、そういう追及のスタンスでいこうと。

とりあえず、「私たちは高倉健にどんな理想を求めたのか」、これで行きます。

兵隊が雪の中で死んでいくだけの映画

高倉健さんと言えば「仁侠映画」「ヤクザ映画」。前回は、そのシリーズが始まる切っ掛けとなったのが『人生劇場 飛車角』について書きました。

今回は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とした『八甲田山』について書いていきます。

この映画は脚本家・ 橋本忍さんが企画し、東宝で製作されました。

 橋本忍さんと言えば「日本一の脚本家」、がっちりした構成には定評があり、多数の名作を書いています。一部を示すとこんな感じです。

『羅生門』『生きる』『七人の侍』『生きものの記録』『蜘蛛巣城』『張込み』『隠し砦の三悪人』『私は貝になりたい』『悪い奴ほどよく眠る』『切腹』『日本のいちばん長い日』『どですかでん』『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』・・・。

それでも完成しないうちはイメージがつかめないのか、撮影の木村大作さんがこんなことを言っています。

撮影の木村大作は(略)。また内容も兵隊が雪の中で死んでいくだけでは、ヒットするとは思えなかったという。

(Wikipedia「八甲田山 (映画)・エピソード 」より) 

ところが、「配給収入は25億900万円で、1977年の日本映画第1位」(Wikipedia)。

どこにそんな魅力があったのでしょうか。

『八甲田山』は映画館では見ませんでしたが、テレビで放送されたもの、レンタルと何度か見たことがあります。今回、見直して気が付いたのは次の三つです。

  1. 知っていることをもっと詳しく知りたい。
    よくネタバレを嫌う人がいます。八甲田山の山岳遭難事故で大量の犠牲者が出る。そのことは分かっているいるのですが、人はもっと知りたいのです。
  2. 三國連太郎さんの悪役ぶりにイライラ。
    三國連太郎さん演ずる第二大隊長・山田少佐のリーダーとしてのこれでもかというほどのダメっぷり。
  3. ヒーロー高倉健と不運な神田大尉の対比
    北大路欣也さん演ずる聡明で凛々しい神田大尉。それなのに、ダメ指揮官に命令され、多数の犠牲者を出してしまいます。
    それに対して、冷静で正しい判断をする徳島大尉(高倉健)。その対比に観客はイライラしたり、うっとりします

兵隊が雪の中で死んでいくだけ。だけれども、悪役の三國連太郎さん、その犠牲になる聡明で凛々しい北大路欣也さん、ヒーローの高倉健さん、この三人の描き分けがこの映画の魅力です

このことについて、もう少し詳しく書いていきます。

知っていることをもっと詳しく知りたい

よくネタバレを嫌う人がいますが、これは見る前からかなりのネタバレです。

新田次郎の八甲田山で起きた八甲田雪中行軍遭難事件を題材とした小説『八甲田山死の彷徨』が原作ですから、雪の中を兵隊がバタバタと死んでいくのは分かっている訳です。

それに、高倉健さんが指揮官を演じるのは分かっています。「高倉健」というキャラクターでどう乗り切るのか。健さんらしい感動的なエピソードを見たいと期待しています。

つまり、映画の中で起きるの結末はある程度知っている。「高倉健」というキャラクターに感動したい、と期待して入場券を買っているのです。

7割くらいは知っていて、さらに新しい情報が加わるとき、楽しく本を読めるような気がします。小説や映画だって、主人公の環境と何がやりたいかを分かってくると物語の世界に没入できます。
人は知っていることをもっと詳しく知りたいのです。

ダメな第二大隊長という悪役

三國連太郎さん演ずる第二大隊長・山田少佐がダメダメです。指揮は神田大尉に任せるはずなのに、いざとなったら最高権力者として参加して余計なことを指示しまくります。

北大路欣也さん演ずる神田大尉は聡明な軍人なのですけれども、上官の指揮には従わなかれればなりません。そのため次々と犠牲者が出ます。

神田大尉が頼んでいた民間人の案内人を「金が欲しくて来たんだろう」と追い返し、足を引っ張ります。

素晴らしいのは、この悪役も、神田大尉も、民間の案内人も、全部橋本忍さんの頭の中から生まれたということ。脚本家がトラブルを作って、登場人物が人格を反映させながら解決に導いたり、問題をさらに深刻にしてしまったり・・・。日本一の脚本家・橋本忍の力が余すことなく発揮されていました。

三國連太郎さんの悪役は見事です。

ヒーロー高倉健と不運な神田大尉の対比

神田大尉がダメ指揮官の犠牲になる。それを見るのは悔しいものがあります。凛々しくて聡明な指揮官なのに、ダメ指揮官の部下になったばっかりに、次々と部下を犠牲にしてしまいます。そして、自らも命を落としてしまう。

雪が酷くてそりを引くのもつらくなり、そりを放棄することを提案しても却下されてしまいます。偵察に行けと無茶な指示であっても、上官には逆らうことはできません。会社でダメ上司に意見を却下され、怒り狂ったことのある人なら共感しまくりでしょう。

それに対して、徳島大尉(高倉健)は冷静で正しい判断をします。ダメ上司がいませんから、実力を十分発揮できるのです。

徳島大尉の計画は準備周到です。地理に詳しくないことから、途中までは地元の民間人に案内して貰います。

我らのヒーロー高倉健は思いやりがあります。足を滑らせた疲弊した隊員をみつけると、荷物を分散して持つよう指示します。 

一番感動的だったのは、案内して貰った百姓の小娘(秋吉久美子さん)と分かれるシーンです。

健さんは、謙虚に百姓の小娘の案内を尊重します。プライドが許さないからか、「女性案内人を最後尾にしよう」と言う案が出てきますが却下。先頭を歩いて案内して貰います。

娘を先頭にラッパの行進。

娘が安全な場所へ案内し、ここでご飯にしようと言います。それとは対照的に、神田隊の悲惨な状況が次々と描かれます。
別れ。振り返りながら去る秋吉久美子さんに、「かしらぁ、中!」と隊全体で最上の礼を尽くします

弱者に対しても感謝の気持ちを忘れない健さんには惚れてしまいます。

観客は高倉健に憧れ、自分もそう生きたいと思います。

音楽の力も大きい

音楽の力も大きいと思います。

実際の人生にはオーケストラのバックなんてないのですが、手紙を読むとき、雪原を歩くとき、芥川也寸志さんのオーケストラに力強さを感じたり、悲惨さを感じたりしました。 

八甲田山 オリジナル・サウンドトラック

八甲田山 オリジナル・サウンドトラック

 

松本清張原作の『砂の器』(1974年)も、橋本忍さんが脚本を書きました。そして、音楽は芥川也寸志さん。『八甲田山』(1977年)も、その流れからのようです。

リンク先のアマゾンで映画に使われた音楽を試聴できます。

『八甲田山』の「エンディング」が悲しく美しい。

途中で席を立ってはだめですよ、最後までこの曲を聴いてください。

助演する高倉健さんは不器用でもストイックでもない・『人生劇場 飛車角』(原作・尾崎士郎)

人生劇場 飛車角

人生劇場 飛車角

 

目次

『人生劇場 飛車角』はどんな映画か

高倉健さんと言えば「仁侠映画」「ヤクザ映画」。そのシリーズが始まる切っ掛けとなったのが『人生劇場 飛車角』(1963年)です。

原作は尾崎士郎の『人生劇場・残侠篇』。『人生劇場』は、尾崎士郎をモデルとした自伝的小説ですけれども、「残侠篇」 は主人公の青成瓢吉がほとんど登場せず、鶴田浩二さん演ずる侠客・飛車角が主役です。

飛車角が人を殺して逃げこむのが青成瓢吉の部屋。そこには瓢吉の父を慕う「吉良常」がいてかくまう。瓢吉との接点はそれだけです。

私がススメるこの映画の見どころ

この映画の見どころは次の三つ。

  1. 「おとよ」と「飛車角」の別れのシーン。
    遊女のおとよ(佐久間良子さん)と飛車角(鶴田浩二さん)は、駆け落ちし、小金親分にかくまわれて住んでいます。
    小金一家が喧嘩になり、一宿一飯の義理がある飛車角は相手の親分を刺し殺し、自首することになります。
    別れたくない「おとよ」と「刑が終わるまで待ってくれ」と言う「飛車角」。
    延々と佐久間良子さんが飛車角を引き留めます。
    義理に生きる「飛車角」と別れたくない情熱的な「おとよ」。二人は熱くぶつかり合います。
    長い。4分30秒くらいあります。佐久間良子さんが息も切れるほどに「飛車角」への思いを語ります。
    佐久間良子さんの熱演を見てください。
  2. 高倉健さん演ずる「宮川」が「おとよ」に惚れてマメに口説く。
    高倉健さんと言えば不器用で無口でストイック。自分から女性に好意を寄せるイメージがありません。
    でも、この映画では健さんが行動的なのには驚きました。
    逃げる「おとよ」を車引きの高倉健さんが助けます。「おとよ」は健さんの部屋で熱を出して寝込んでしまい、健さんが甲斐甲斐しく看病をするのです。
    おかゆを作って食べさせようとしたり。不器用で無口なイメージの健さんと違って、とてもマメです。
    やがて二人は結ばれます。
  3. 「宮川」は「おとよ」が兄貴分「飛車角」の情婦だと知る。
    飛車角は出所し、迎えに出た吉良常はおとよの事情を話します。
    宮川(健さん)はどうにでもしてくれと両手を差し出します。
    兄貴分の女に手を出せば指を摘めるのがルール。
    あれほど刑務所の中で思い続けた「おとよ」ですが、飛車角(鶴田浩二)は宮川を許します。
    飛車角は辛い・・・。

小金親分が殺された相手を知った宮川(健さん)がひとり殴り込み、殺されたことを知った飛車角が殴り込みます。

ヤクザの殺し合いのシーンが多いのですが、「飛車角」、「おとよ」、「宮川」の大きな三角関係がドラマを支えています。

多弁でマメな高倉健さんにも注目しましょう。

「義理」と「人情」ではどちらが大切か

遊女とヤクザが惚れ合って、逃げて親分のかくまってもらう。普通、そんなドラマチックな人生はない訳で、そんな境遇にどっぷりと浸って観客は映画を楽しみます。

映画の中では、一宿一飯の義理から敵対する親分を刺し、「飛車角」と「おとよ」が別れなければならなかったことから、悲劇が始まります。

「飛車角」は「おとよ」が言うように自首しないで逃げる訳にはいかなかったのか。

 出入りで義理が果たせ、男になることが出来たという「飛車角」。

そんなに男になることが大事なのか。

現実だったとしたら、私はどちらを選ぶかというと「人情」を選ぶと思います。

しかし、映画を観る私はすっかり共感していますから、私の心の中には何があるのでしょう。

武士道なのでしょうか、儒教なのでしょうか。

西洋の人はどうなのでしょうか。

それを知りたいと思ったのでした。